市原市に奈良の大仏

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千葉の大仏と言えば鋸山?いえいえ、市原市に『奈良の大仏』があります。

こんにちは。聖一朗(@sei01row)です。

日本国内の大仏と言えば、『奈良の大仏』『鎌倉の大仏』が有名ですが、実は千葉にある鋸山の『日本寺』にも大仏があるんです。

これは石を切り出した大仏で大きさは『奈良の大仏』の2倍以上あるそうです。

でも今回はこの鋸山の大仏の話ではなくて、その千葉県に『奈良の大仏』が存在するっていう話です。

その名も『奈良の大仏』。実際に見てきましたので、いったいどんなものなのかを紹介します。

市原市にある『大仏通り』

大仏通りの看板市原市には『大仏通り』という道路があります。

ここはボクの家からも近く、バイクでよく走りに行く通りです。

道幅も広くて路面状態も良好。それに追い越しが出来る為ツーリングに行く前のウォーミングアップとしてもいいからです。

この道は『うぐいすライン』とも繋がっているので、合わせると走りごたえも充分のワインディングです。

話が逸れましたが、この『大仏通り』という名前がずっと気になっていたんです。

ある時「大仏通りは近くにある大仏に由来しているらしい」という情報をキャッチしたため、調べるに至りました。

そしたらありました。その名も『奈良の大仏』。

そんなのを知ったら見に行きたくなりますよね?早速探して行ってみる事にしました。



本当にあった『奈良の大仏』

奈良の大仏の看板参道(?)の入り口にある看板です。

確かに『奈良の大仏』と書いてあります!その脇には市原市指定文化財の記載も。これは期待できます!

ん?左端にも文字が・・・奈良町会??

もしかして、奈良の大仏の『奈良』って、ここが奈良町って事だから??

そんな事を考えながら奥へと進んでみる事にしました。

これが千葉版の『奈良の大仏』です!

奈良の大仏全景こちらが『奈良の大仏』です!!

え?どこに大仏が??と思いますよね?

これこそが千葉版の『奈良の大仏』なんです。

大仏というと、大きくて(“大”仏ですものね)座っているイメージがありますけど、どう見ても立ってらっしゃいますよね?

ちなみに周りに漂っているモヤは、近くでたき火をしていた煙ですので霊的な類のものではありません。

ボクも「大仏って座ってるんじゃないの?」と思ったので、大仏の概念を調べてみました所・・・

大仏(だいぶつ)とは、大きな仏像を指す通称。中国などアジアの仏教圏では、天然の岩壁を彫刻した磨崖仏などが古くから造られてきた。日本においては、奈良時代に聖武天皇が、国家の安寧と民の幸福を祈願して東大寺に奈良の大仏(東大寺大仏)を造立したのを嚆矢とする。以降、現代に至るまで、大きな功徳を求めた願主によって各地に大きな仏像が造られてきた。

釈迦の背丈が1丈6尺あったという伝説から、その高さで造られた仏像を丈六仏(じょうろくぶつ)という。背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分の大きさになる。一般的には「丈六仏」より大きい仏像を「大仏」というが、その定義より小さくても「大仏」と称するものもある。

また、大仏を安置する仏堂を大仏殿(だいぶつでん)と呼ぶことがあり、東大寺の大仏殿(金堂)が有名である。

引用元;Wikipediaより

牛久大仏はい。大仏は座ってるものなんてどこにも書いてません。

小学校や中学校の歴史で習う『奈良の大仏』と『鎌倉の大仏』のイメージが定着している為に大仏=座ってるという概念が根付いてしまってるんですね。

現にこの写真は茨城県にある『牛久大仏』の姿です。

これは立ってるでしょ?

余談ですがこの『牛久大仏』って、高さなんと120mもあるんですよ!!

めちゃくちゃデカいですよね?茨城県もすごいのがいますね。

千葉の『奈良の大仏』の歴史

奈良の大仏様の画像きっとこれを見た方の印象を想像すると、「ここがたまたま奈良町という地名だったから、仏像を建立するときに奈良県の『奈良の大仏』にあやかって付けられたんでしょ?」

だと思います。はい!ボクもそう思いました。

だって立っていても大仏というのは分かっても、『牛久大仏』のように“大”仏というくらいですから大きくないといけないですよね?

これは仏像の大きさだけを見る限り、どう見ても1mちょっとです。

きっとあやかったからこその“大”仏だと思いました。でも調べた結果、しっかりとした歴史がある仏像様だったんです。

千葉県にある奈良の大仏(ならのだいぶつ)は、同県市原市奈良字大仏台に建立された釈迦如来像である。

初代は平安時代、承平元年(931年)に建立されたと伝えられる。下総付近で朝廷に対して反乱を起こした平将門が、新皇を名乗りこの地の北方に京を模した自らの都を構えた際、京の南の奈良の東大寺の大仏を模して建立したもので、銅製だったとされる。

江戸時代中期の儒学者中村国香(1710年 – 1769年)が著した『房総志料』によれば、当時の奈良村には銅製の蘆舎那の露仏が存在していた。

その後何度か作り直され、現在のものは文化元年(1804年)に建立された等身大(像高約1.7m)の石製立像である。

引用先;Wikipediaより

平将門??あの有名な??

この大仏はもともと平将門が建立したものだったんですね。

でも東大寺の大仏を模して建立と書かれてますので、もともとは姿かたちが全く違うものだったようです。

それがどういうわけだか、何度か作り直されてるうちに現在の形になったという事なんですね。

正直、そんな歴史あるものだとは思ってなかったので、ビックリしました。



まとめ

この大仏は、見る限り近くにお寺らしきものもなく、林の中にポツンと建っています。

それなのに、その近くを走っている道路には『大仏通り』という名前が付いていますし、2011年の東日本大震災の時には、仏像が落下して壊れてしまったのを、市原市と地元の方々が費用を出し合って修復したそうです。

それほどの歴史があり、地元にも愛されている仏像。

見た目は小さくても、目には見えない『大きさ』があるようにも感じました。

是非近くを通った際は、お参りに行ってみてはいかがでしょうか?

 

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